役名
- 乳母 政岡
- 弾正妹 八汐
- 栄御前
- 田村右京妻 沖の井
- 渡辺主水妻 松島
- 澄の江
- 一子千松
- 足利鶴千代
足利家奥殿の場

あと見送りて政岡が、まさなきことも身にかかる科は晴れても晴れやらぬ、
養い君の行末を、誰に問うべきようもなく、心一つの憂き思い、
物案じなる母親の顔を眺むる千松に、鶴千代君も打ち守り。



コレ乳母、もう何言うても大事ないかや。



はい。もう誰もおりませねば、何なりと御意あそばしませ。
ほんにさっきに沖の井が、若へ御膳をあげた時、常々乳母が申したこと、
お聞きわけあそばして、ようまあお上がりあそばさなんだな。
それでこそ、この乳母がお育て申した若君様。
おでかしなされた、おでかしあそばしましたなア。



ほむればあどなき稚気(おさなぎ)に、



のう乳母、ひもじいということは、強い武士の言わぬことじゃと、
常々そちが言うゆえ、おれは言わねどさっきにから、空腹になったわやい。



オオお道理でござりまする。
今日は思わぬことゆえに御膳の拵えも遅うなり、
あなた様にもさぞお待ちかね。
千松もよう辛抱しやったのう。もう拵えてあげまする。



立ち上がれば、



のう乳母、これにあるこの膳、これを食べては悪いかや。



ア、イヤ、その御膳を差しあげるほどなれば、
乳母も苦労はいたしませぬ。このほどよりして怪しきことども、
忠義厚き沖の井が、差しあげられしその御膳、
疑いはなけれども、油断のならぬこの時節。
あげてよければこの政岡があげまする。
マようお聞きあそばせや。
今お館には悪人はびこり、ご近習小姓繕番まで、
ちっとも心許されず、忠心の男之助はざん者のために遠ざけられ、
カとする者もなく、朝夕の御膳は皆庭へ捨てさせ、
乳母が手ずから拵えて差しあぐるも、
もし毒・毒薬の企みもと、みじんも心許されず。
ご空腹なもお道理ながら、御前がおこらえあそばすため、この千松も、



四五日前から、三度の食事もたった一度、
忠義ゆえしじゃとこらえております。



コレ千松、そなたは言うことよう聞いて、何にも言わすに辛抱する。
賢い賢い、強い強い、つわものじゃのう。



とほむれば千松、



コレ母様、侍の子というものは、ひもじい目をするが忠義しゃ。
また食べる時には毒でも何とも思わず、お主のために食べるものじゃ
と言わしゃったゆえ、わしゃ何とも言わず待っております。
その代わり忠義をしてしもうたら、早う、ままを食べさせてや。
それまではいつまでも、こうきっと、お膝に手をついて待っております。
おなかが空いてもひもじゅうない。



何ともないと渋面作り、涙は出ずれど、
稚気に、はめられたさがいっぱいに。



こちゃ泣きはせぬ。



額をなでて泣き顔を隠す心は、さすがにも名におう武士の胤なりき。
母は健気さ、いじらしさ、目に持つ涙、心には御前に聞かすはめ言葉。



千松はいこう強うなりゃったのう。



イヤ千松より予が強い。ヤイ政岡、おれはちっとも空腹ではないぞよ、
大名というものは、ままもなんにも食べすにこう座っているものじゃ。
これ乳母、おれは強い、つわものじゃ。



これはまた、きょうといことのう。
そうお行儀なところをみては、千松などはかなわぬかなわぬ。
そうお強うては、早うままをあげざなるまい。ドレ。



拵えようとかい立て、かたえに錺(かぎ)る黒棚より



アイと千松が返事はすれど立ちなやみ、
歩む姿もよたよたと、置き直しる小鳥篭、
ちゅうと教える親鳥の、軒端の竹に飛び交わす。
子は孝行に面やせて、育み返すうば玉の、
涙を隠すうない髪、かかればすぐにままになる。



アレもうままじゃ。



嬉しい嬉しい。



と喜ぶ子。



これ千松、何ともないとう下から、せわしない、何のことじゃ。
いつも唄う雀の唄、唄うて御前のご機嫌とりゃ。
さ、早う唄や。これ、早う早う、鈍な子ではあるわいの。



叱られて、おろおろ涙、しゃくりながらのしめり声。



こちの裏のちさの木に木に、



雀が三匹とまってとまって、



一羽の雀の言うことにゃ言うことにゃ、



アコレ、ゆうべ呼んだ花嫁御花嫁御、
ホホ、ホホ、ホホ



竹の下葉をとびおリて篭へ寄りくる、
親鳥の餌ばみをすれば、小雀のはしさし寄する有様に、



アレアレ、雀の親が子に何やら食わしおる。
予もあのように早ようままが食べたいわいのう。



小鳥を羨む御心根、オオお道理じゃと言いたさを、
まぎらす声も震われて、



わしが息子の千松が千松が。
これ千松、殿様のご機嫌も取りもせで、
何の泣き顔することがあるものぞ。
小そうても侍じゃ、コレ。



七つ八つから金山へ金山へ、



一年待てどもまだ見えぬ見えぬ。



乳母、まだままはできぬかや。



もうじきにあげまする。二年待てどもまだ見えぬ見えぬ。



母様、ままはまだかいの。



そなたまでが、同じようにお行儀の悪い。



イエイエ、わしは食べたいことはなけれど御前様がおひもじかろうと思うて。



なんのお強い御前様がおせがみなさりょう。
そりゃそなたがせがむのじゃ。



イエイエ、わしはせがみはいたしませぬ。



サアせがまずばいまの唄、声はりあげて唄うてみや。



言われて涙の声はりあげ、



ほろりほろりとお泣きゃるが、お、な、きゃるが、アア・・・



力なくなく泣き声を隠してつれる母親が、



何が不足でお泣きゃるぞお泣きゃるぞ。



唄の唱歌も身に当る涙はお乳が胸の内、子ゆえの闇ぞやるせなき。
稚けれども天然に大守の心備わりて、



コレ乳母、何で泣くぞいやい。そちや千松も食べぬうち、
おれ一人せわしないと思うならもう堪忍して泣いてくれな。



ようおっしゃってつかわされました。
有難うござりまする有難うござりまする。
なんの乳母が泣いてもよいものでござりましょう。
今乳母が泣いたは、ありゃ早うままのできるまじないでござりまする。
なんの乳母が泣いもので。
ああそれそれごろうじませ。
乳母は涙はない、な。なんの乳母が泣いてよいものでござりましょう。
乳母はさっきにから笑うております。
ホホホ・・・ああ、おかしいおかしい。
今のまじないでちゃっとままができました。
いつものようににぎにぎしてあげましょう。



飯がい取って、手の内に結ぶを千歳と待ちわびて、手を出し給えば、



アイヤ、暫く暫く。



お気遣いござりませぬ。お心静かに召しあがられましょう。



言うにいそいそ御喜び、千万石を手の内に握る御身に引きかえて、
ただひと握りの握り飯を数の珍味と思召す御心根の勿体なやと、
君を思い、わが子を思い、心の奥の忍ぶ山忍び涙の折からに、



申し上げます。



何事にござりまする。



管領山名様の奥方栄御前様、若君様のご病気お見舞いとして、ただいまこれへお上がりにござりまする。



栄御前様のお入りとな。この由を皆様へ。



かしこまりました。



これ千松、常々母が言うたこと必ず共に忘れまいぞや。



栄御前様のお出迎えいたしまするで、



ござりましょう。



これはこれは、栄御前様のお入りとあって、病中ながら館の主(あるじ)鶴千代丸、介添えとして乳人政岡。



執権弾正が妹八汐。



田村右京が妻沖の井。



渡辺主水が妻松島。



これまでお出迎い、



いたしましてござりまする。



どれどれも出迎い大儀。



いざまず、



これへ。



許し召され。



栄御前様へ申し上げまする。今日のお入り御用の筋、仰せ聞けられ下さりましょうならば、



有難う、



存じまする。



管領家よりの上意。



ハァ。



今日わらわ参りしは当家の主鶴千代殿には病気によって、男体せし者をお嫌いなさると聞きしゆえ、夫に代わるこの栄、とくと容態見届けまいれよとの言付け。ことには食事も進まぬ由。
何がなお口に合うものと、管領職より下されしあのお菓子。
賞翫あらば、使いに参りしわらわが大慶。八汐、よきに計ろうてたも。



かしこまりました。



持たせし菓子箱差し出せば、八汐引っ取り蓋押し開き、



オオ結構なこのお菓子。いざ召しませ。



いざ召しませと差し出す。さすが童の嬉しげに手を出し給えば、



政岡、そちゃ何故とめた。



サそれは、



管領職より下されしこの折、怪しいと思うてとめたか。



まったくもってさようでは、



さようでなくば、何故すすめぬ。疑いかすし乳人政岡、こりゃこの侭にはすまされぬ。



ア、イヤ、栄様へ申し上げまする。ただいま政岡がとどめましたは、このはど典薬共より禁しましたる毒いみもの。



抑えひかえは乳人の役、それゆえただいまのようにおとどめなされたのでござりましよう。のう政岡。



さようにござりまする。



ではこの折に疑いはないと申すか。



何しにさような。



そんならそちが何故すすめぬ。



サアそれは。



わらわが手すからすすみょうか。



サアそれは。



但しそちがすすむるか。



サアサアサア。



政岡、何と。



と権柄押し、奥より走って千松が、



この菓子一つ下されや。



何の玩是も只ひとロ、蹴散らかしたる折は散乱。八汐はすかさず千松が首筋逆手に引きよせて、懐剣ぐっと突っこめば、わっとひと声七転八倒。
驚く沖の井政岡が、仰天ながら一大事と若君抱き守りいる。



ヤァ事の実否も糺さぬ内、何ゆえあって千松を、



手にかけられし八汐、



ご返答が、



承りたい。



何をざわざわ、騒ぐことはないわいの。悉なくも管領家より下されしこの折、踏み割りしは上への無礼。手にかけたはお家を思う八汐が忠節。
可哀想に、痛いかいのう。他人のわしさえ涙がこぼれる。
正岡、現在のそなたの子、悲しゅうはないかいなあ。



何のマア、お上へ対し慮外せし千松、ご成敗はお家のお為。



これでもか、これでもか・・・



でかした八汐。管領家より下されし大切なこの折。よしない小児か差し出たゆえ、大事の、菓子をあらした科。てにかけしは八汐が働き、オオあっぱれあっぱれ。この上は政岡に申し聞かす仔細もあれば、皆の者はしばらく次へ。



すりゃあの、



私どもは、



遠慮してたも。



と栄の言葉。何と言へんも沖の井が深き心も和田海の汐の八汐も打ちつれて伴い、ひと間入りにける。あとさき見回し栄御前、政岡が傍へすりよって、



政岡、近う。



ハア。



年頃仕込みしそなたの願望、成就してさぞ満足であろうのう。



何と御意あそばす。



包むに及ばぬ。東西分かぬその内より、取り替え子ということは疾くよりそれと知ったれども、もしやと思い、最前より始終の様子を試みるに、血を分けしわが子の苦しみ、なんほ気強い親々でも、こらえられたものではない。言わずと知れし同腹中、確かな証拠見る上は、そなたに見する一品あり。



披見しゃ。



ヤヤ、こりや鬼貰公を初めとして家中の諸武士は過半お味方。



何かのことは八汐に申しつけおいたれば、あとにてよしなに。



して、この品は。



そなたにしかと預けおくぞや。



すりやこの連判を私に。しかとお預かり申しまする。



わらわはこれより立ち帰り、この場の様子を申し上げん。



しばらく。



ハア。



政岡、近う。



ハア。



必ず人に語られまいぞや。



独り呑み込み、悠々と館をさして帰らるる。



あとには一人政岡が奥ロ窺い窺いて、わが子の死骸打ち見やりこらえこらえし悲しさを一度にわっと溜め涙、せき入りせきあげ嘆きしが。



コレ千松よう死んでくれた。
でかしゃったでかしゃった、でかしゃったのう。
そなたが命捨てたので、邪智深い栄御前、取り替え子と思い違い、
おのれの企みを打ち明けて連判までも渡せしは、
親子の者が忠心を神や仏も憐みて鶴千代君のご武運を守らせ給うか、
忝ない、忝ない忝ない、忝ないわいのう。
これというのもこの母が、常々教えおいたこと、
幼心に聞きわけて手詰めになった毒薬を、よう試みてたもう。
でかしゃったでかしゃったでかしゃった、でかしゃったのう。
これ千松、そなたの命は出羽奥州五十四郡の一家中、
所存のほぞを固めさす、まことに国の、



礎ぞや。とはいうものの可愛やな、君の御ためかねてより覚悟はきわめていながらも、



せめて人らしい者の手にかかっても死ぬことか、人もあろうに弾正が妹づれの刃にかかり、



なぶり殺しを現在に、傍に見ている母が気は、



どのようにあろう。



どうであろう。



思い廻せばこのはどから、唄うた唄に千松が、



七つ八つから金山へ、一年待てどもまだ見えぬ、



二年待てどもまだ見えぬと、唄の中なる千松は、待つ甲斐あって父母に顔をば見することもあろ。同じ名のつく千松の、こなたは百年待ったとて、
千年万年待ったとて、



何の便りがあろぞいの。



三千世界に子を持った親の心はみな一つ、子の可愛さに毒なもの、食べなと言うて叱るのに、毒とみたらば試みて、死んでくれよというような、胴欲非道な母親がまたと一人あるものぞ。



武士の胤に生まれたは果報か



因果か。



いじらしや。死ぬるを忠義ということは、いつの世からの習わしぞと、
こり固まりし鉄石心、さすが女の愚にかえり、人目なければ伏し転び、
死骸にひしと抱きっき、前後不覚に嘆きしは理すぎて道理なり。



政岡、覚悟。



ヤヤ詮議のたねの一巻を、



鼠がくわえて、



アレアレアレ。



女ながらも謀反の片割れ、



わが子の敵。



お家の仇。



天命思い知ったるか。
-幕-
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