役名
- 舎人 松王丸
- 武部源蔵 (たけべげんぞう)
- 源蔵女房 戸浪 (となみ)
- 若君 管秀才 (かんしゅうさい)
- 一子 小太郎
- 涎くり与太郎
- 百姓 吾作
- 同 庄左衛門
- 同 粟十
- 同 仙蔵
- 御台所(みだいどころ)園生の前
- 春藤玄蕃 (しゅんどうげんば)
- 松王女房 千代
寺子屋の場

立ち帰る主の源蔵、常に変りて色青ざめ、内入り悪く子供を見まわし、



いずれを見ても山家育ち。アア世話甲斐のない。習え、習え。



思いありげに見えければ、心ならず女房立ち寄り、



いつにない顔色も悪し、振舞いの酒機嫌かは知らねども、山家育ちは知れてある子供。憎体ロは聞こえも悪い。ことに今日は約束の子が寺入りしておりまする。性悪人と思うも気の毒、機嫌直して会うてやって下さりませ。



小太郎連れて引き合わせど、差しうつむいて思案の体。いたいけに手をつかえ、



お師匠様、今からお頼み申しまする。



言うに思わず振り仰向き、キッと見るより暫くは、打ち守りいたりしが、たちまち面色和らぎて、



器量すぐれて気高き生まれつき、公卿高家の子息というても、おそらくは恥ずかしからず。ハテさてそなたはよい子じゃのう。



機嫌直れば女房も、



なんとよい子、よい弟子でござんしょがな。



よいともよいとも上々吉。してつれて来た母御はいすこに。



お前が留守ならその暇に、隣村まで行て来というて。



それもよし、よし、いやもう大極上。今日は寺入りのことなれば、皆と奥で遊ばしめされ。



それ、皆、お暇が出た。小太郎ともに奧へ、奥へ。



若君もろともいざなわせ、
後先見廻し夫に向い



最前の顔色は常ならぬ気相、合点の行かぬと思うたに、今またあの子を見て、打って変えての機嫌顔、なおもって合点行かず、どうやら様子がありそうな、気づかいな、様子聞かせて下さんせいなあ。



問えば源蔵、



気づかいな筈。今日村の饗応(もてなし)と偽り、それがしを庄屋方へ呼びつけ、時平(しへい)が家来春藤玄審、今一人(いちにん)は菅丞相のご恩をきながら、時平に従う松王丸、こいつ病みほうけながら検分の役と見え、数百人にて追っ取り巻き、汝が方に菅丞相の一子菅秀オ、我が子としてかくまう由、訴人あって明白。急ぎ首討ち渡すや否。但し踏ん込み受け取ろ
うや。とさ、のっぴきならぬ手詰め。是非に及ばす首討って渡そう、とさ、請け負うた心はのう、数多ある寺子のうち、いずれなりとも身替りと、思うて帰る道すがら、あれかこれかと指折っても、玉簾(たまだれ)の中の誕生と、薦垂(こもだれ)の中で育ったとは似ても似つかす、所詮ご運の末なるか、痛わしや浅ましや、と、屠所(としょ)の歩みで帰りしが、天道のひかえ強きにや、今あの寺入りの子を見れば、まんざら烏を鷺とも言
われぬ器量、一旦身替りであざむき、この場さえのがれたれば、すぐに河内へ御供する所存。今暫が大事の場所。



語れば女房、



待たんせや。その松王という奴は、三つ子の内の悪者、若君の顔よう見知っていましょうぞや。



さささ、そこが一か八か。生顔(いきがお)と死顔は相好の変るもの。面差し似たる小太郎が首、よもや贋とは思うまじ。よしまたそれとあらわれ
たれば、松王めを真っ二つ。残る奴ばら切って捨て、叶わぬ時には若君もろとも、死出三途の御供と、胸を据えたが、ここに一つの難儀というは、今にもあれ、小太郎が母迎いに来らば何とせん。この儀に当惑、さしあたったるこの難儀。



そのことなら気づかいあるな。女子同士の口先で、ちょぼくさだま
してみましょうぞ。



いやいや、その手じゃ行くまい。大事は小事よりあらわるると、こ
とによったら母もろとも。



ええ。



若君には替えられぬわえ。



と言うに胸据え



そうでござんす。気弱うては仕損ぜん。鬼になって。



夫婦は突っ立ち、互いに顔を見合せて、



弟子子(でしこ)といわば、我が子も同然。



今日に限って寺入りした、あの子が業か、母御の因果か、



報いはこちが火の車、



おっつけ廻ってきましようわいなあ。



妻か歎けば夫も目をすり、



せまじきものは、宮仕えじゃなあ。



共に涙にくれいたる。



お願い。



ひと間のうちへ入りにける。かかるところへ春藤玄審、首
見る役は松王丸、病苦を助くる駕籠乗物、門口に舁き据ゆ
れば、あとには大勢村の者、つき従うて、



へいへい、申し上げまする。皆これにいる者の子供が手習いにまいっておりまする。



もし取り違え首討たれては、とり返しがなりませぬ。



よくよく、お改めなされた上、



どうぞお戻しなさりまするよう、



へいへい、お願いでござりまする。



願えば玄蕃、



やあ、かしましい蝿虫(はえむし)めら。うぬらの餓鬼のことまでも、身共が知ったことか。勝手次第に連れ帰れ。



叱りつくれば松王丸、



やれお待ちなされ、しばらく。



駕篭より出づるも刀を杖。



はばかりながら彼らとても油断はならぬ。病中ながら拙者めが検分の役つとむるも、ほかに菅秀才の顔見知りし者なき故。今日の役目仕おおすれば、病身の願い、御暇下さるべしと、ありがたき御意の趣、おろそかには致されず。菅丞相にゆかりの者、この村におくからは、百姓共もぐるになって、めいめいが伜に仕立て、助けて帰る術(て)もあること。こりゃやい、百姓めら、ざわざわとぬかさずとも、一人(いちにん)ずつ呼び出(いだ)せ。面改めて戻してくりょう。



のっぴきさせぬ釘鎹(くぎかすがい)、打てば響けの内には夫婦、かねて覚悟も今更に、胸轟かすばかりなり。表はそれとも白髪のおやじ、門ロより声高に。



これ、長松(ちょま)よ長松よ。



と呼び出せば、



あい。



あっと答えて出で来るけ腕白顔に墨べったり、
似ても似つかぬ雪と炭。これではないと免しやる。



岩松(いわま)はいぬか。



と呼ぶ声に、



祖父様、なんじゃ。



と走ごくで、出で来る子供の頑是なき、顔は丸顔木毟(きみし)り茄子(なすび)、詮議に及ばぬ、連れ失しょと睨みつけられ、



おお怖や、嫁にも食わさぬこの孫を、命の花落ちのがれました。



祖父が抱えて走り行く。次は十五の涎くり。



これ、ぼんよぼんよ。



おやじが手招き、



父よ、おりやもうここから抱かれて去のう。



甘える顔は馬顔で、声きりぎりす、おお泣くな。抱いてやろうと千鮭(からざけ)を、猫なで親がくわえ行く。



わたしが伜は器量よし、お見違え下さるな。



断り言うて呼ひ出すは、色白々と瓜実顔、こいつ胡乱(うろん)とひっとらえ、見れば首筋真っ黒々、墨か痣かは知らねども、こいつでないと突き放す。そのほか山家奧在所の、子供残らす呼び出して、見せても見せても似ぬこそ道理、土が産ましたはかり芋、子ばかり寄って立ち帰る。



いざ松王丸。



まずまず。



すわ身の上と源蔵も、妻の戸浪も胴を据え、待っ間ほどなく入り来る両人、



やい、源蔵、この玄蕃が目の前で、討って渡そうと請け負うた、菅秀才が首、いざ、受けとろう。



手詰めの催促、ちっとも臆せず、



仮初めならぬ大事の若君、掻き首捩し首にもいたされず、しばらくのご容赦。



立ち上がるを松王丸、



やあその手はくわぬ。しばしの容赦と暇どらせ、逃げ支度したしてもな、裏道へは数百人をつけおき、蟻の這い出るところもない。また、生顔と死顔は相好が変るなどと、身替りの贋首、それもたべぬ。古手なことして後悔すな。



言われてぐっとせき上げ、



やあ、いらざる馬鹿念。病みほうけた汝の目玉がでんぐり返り、逆様眼で見ようは知らず、まぎれもなき菅秀オの首、おっつけ見しょう。



その舌の根のかわかぬうち、早く討て。



疾(と)く切れ。



玄蕃が権柄。



ははっ。



はっとばかりに源蔵は、胸を据えてぞ入りにける。
傍らに聞き入る女房は、ここぞ大事と心も空、検使は四方八方に、眼(まなこ)をくばる中にも松王、机文庫の数を見廻し。



はて、合点の行かぬ。先立って去んだ餓鬼らは以上八人、机の数が一脚多い。その伜は何処におるぞ。



見咎められて戸浪ははっと、



こりゃ、今日初めて寺入りの・・・



なに、



いえあの、寺参りした子がござんす。



なに、なに、何を馬鹿な。



おおそれそれ、これがすなわち秀才のお机文庫。



木地を隠した塗り机、ざっとさばいて言いぬける。



何にもせよ、ひまどらすが油断の元。



げにもっとも。



玄蕃もろとも突っ立ちあがる。こなたは手詰め命の瀬戸際、奧にはバッタリ首討つ音、はっと女房胸を抱き、踏ん込む足も、



無礼者め。



けしとむ内、武部源蔵白台に、首桶たずさえしずしず出で、目通りに差しおき、



是非に及ばず、菅秀才の首討ち奉る。いわば大切な御首、性根を据えて、松王丸、しっかりと検分いたせ。



忍びの鍔元くつろげて、虚と言わば斬りつけん、実と言わば助けんと、かたずを呑んで控えている。



なにこれしきに性根どころか、むはははは、いま浄瑠璃の鏡にかけ、鉄礼か、



金礼か、



地獄、



極楽の境。



それ、源蔵夫婦を取り巻き召されい。



はっ。動くな。



かしこまったと捕手の人数、十手振り上げ立ちかかる。女房戸浪も身を固め、夫はもとより一生懸命、



いざ、実検せよ



言う一言も命がけ、後ろは捕手向こうは曲者、玄蕃は始終眼をくばり、ここぞ絶体絶命と思ううち、はや首桶引き寄せ、蓋引き開けた首は小太郎。贋と言うたらひと討ちと、はや抜きかける。戸浪は祈願、天道様、仏神様、あわれみ給えと女の念力、眼カ光らす松王が、ためつすがめつうかがい見て、



菅秀才の首に相違ない、相違ござらぬ。源蔵、よく討った。



言うにびっくり源蔵夫婦。あたりきょろきょろ見合せり。検使の玄蕃は検分の詞証拠に、



でかした源蔵、よく討った。ほうびにはかくもうた科許してくれる。いざ松王丸、片時も早く、時平公のお眼にかけん。



いかさま暇どってはお咎めもいかが。拙者はこれよりおいとまたま
わり、病気保養いたしたし。



役目はすんだ。勝手に召され。



しからばごめん。



松王は、匍篭にゆられて立ち帰る。



やい源蔵、日頃は忠義忠義とロでは言えど、うぬが体に火がつけば、主の首でも討つじゃまで。命は惜しいものだなあ。ははははは。



玄蕃は館へ立ち帰る。
五色の息を一時に、ほっと吹き出すばかりなり。胸なでおろし源蔵は、天を拝し地を拝し、



はあ、ありがたや忝や、凡人ならぬ若者の、ご聖徳顕れて、松王めが眼かすみ、若君と見定めて帰りしは、天成不思議のなすところ、ご寿命は万々歳、悦べ女房。



これもう大抵のことじやござんせぬ。あの松王が目の玉へ、菅丞相様が入ってござったか。但は首が黄金仏ではなかったか。似たというても瓦と黄金、宝の花のご運開きと、あんまり嬉しゅうて、涙がこばれるわいなあ。



有難や尊やと、悦び勇む折柄、小太郎が母息せきと、



もし、わたくしは最前寺入りの子の母でござりまする。どうぞお開けなされて下さりませ。



只今、お開け申します。



ほほほほ、はははは。



手前が武部源蔵でござる。どうぞご遠慮のうお通り下され。



最前はわるさをお頼み申しましていかいお世話でござりまする。



なんのなんの。



して、小太郎は何をいたしておりまする。



その小太郎は奧で子供らと機嫌よう遊んでおりまする。



奧で遊・・・さようでござりまするか。日もいこう闌(た)けましたれば、連れて戻りましても苦しゅうはござりませぬか。



おかまいなく、お連れ帰り下されい。



小太郎や、小太郎や。



はは、



ほほ、



はは、



ほほほほ、はははは。



さようなれば連れて戻りましよう。



ずっと通るを後ろより、只ひと討ちと切りつくる、女もしれもの引っ外し、逃げても逃がさぬ源蔵が、刃するどく切りつくるを、我が子の文庫ではっしと受け止め、



若君菅秀才のお身替り、お役に立てて下さったか、日一しはまだか。
さ、さ、さ、様子聞かせて下さんせいなあ。



言うにびっくり。



してして、それは得心か。



あい。得心なりゃこそ、経帷子に六字の幡(はた)。



してそこもとは何人のご内証。



たずぬるうちに門ロより、



梅は飛び桜は枯るる世の中に、何とて松のつれなかるらん。



女房喜べ、伜はお役に立ったわやい。



おのれ松王。



源蔵殿、先刻は段々。



夢か現か夫婦かと、呆れて詞もなかりしが、武部源蔵儀を正し、



一礼はまず後でのこと。今まで敵と思いし松王、打って変りし所存いかに、



とたずぬれば、



ご不審はもっとも。ご存しの通り、我々兄弟三人のめいめい別れて奉公、情けなやこの松王は、時平公に従い、親兄弟とも肉縁切り、ご恩を受けたる丞相様に敵対。主命とはいいながら、皆これこの身の因果、何卒主従の縁切らんと、作病構え暇の願い。菅秀才の首見たらば暇やらんと、今日の役目。よもや貴殿が討ちはせまい、なれど身替りに立つべき一子なくばいかがせん。ここぞご恩の報ずる時と、女房千代と言い合せ、二人が中の伜をば、先へ廻してこの身替り、机の数を改めしも、我が子は来たかと心のめど。丞相様には我が性根を見込み給い、何とて松のつれなかろうぞとの御歌を、松はつれないつれないと、世上のロに、



かかる悔しさ、



推量あれ源蔵殿、伜がなくばいつまでも、人でなしよと言われんに、
持つべきものは子でござる。



言うに女房なおせきあげ、



持つべきものは子なるとは、あの子のためにはよい手向け。思えば
最前別れる時、いつにない跡追うたを、知った時のその悲しさ。冥
土の旅へ寺入りと、はや虫が知らせてか。隣村まで行くというて、
道まで去んでみたれども、子を殺させにおこしておいて、どうまあ
うち家へ去なるるものぞいなあ。死顔なりとま一度見たさに、これ、



未練と笑うて下さんすな。包みし祝儀はあの子が香典、四十九日の成仏まで、待って寺入りさすという、非しいことが世にあろうか。



育ちも生まれも賎しくば、殺す心はあるまいに、



死ぬる子はみめよしと、美しゅう生まれたが、可愛やその身の不仕合せ。



何の因果で疱瘡まで、



しもうたことじゃとせきあげて、かっばと伏して泣きければ、共に悲しむ戸浪は立ち寄り、



最前連れ合いが、お身替りと思いついた傍へ行て、お師匠様、今から頼みあげますると、言うた時のこと思い出せば、他人のわしさえ骨身が砕くる。親御の身ではお道理でござりまする。



と涙添ゆれば、



いやご内証、必ずお歎き下さるな。こりゃ女房、何でほえる、覚悟したお身替り、内で存分ほえたでないか。ご夫婦の手前もある。泣くな泣くな、泣くなと申すに。いやなに源蔵殿、申しつけてはおこしましたなれど、さだめて最後の節、未練な死をいたしたでござろうな。



いやいや若君菅秀才のお身替りと言い聞かすれば、潔う首さしのべて、



あの、逃げかくれもいたさすにな、



にっこりと笑うて、



なに、笑いましたか。笑うたといやい。ははははは、おおでかしおりました。利ロな奴、立派な奴、健気な八つや九つで、親に代って恩送り、お役に立つは孝行者、手柄者と思うにつけ、



思い出すは桜丸。



ご恩も送らず先立ちし、さぞや草葉の陰よりも、伜がことを聞くならば、羨ましかろ、けなりかろ。俘かことを思うにつけ、桜丸がふびんでござる。源蔵殿、ごめん下され。



忘れかねたる悲歎の涙。



その伯父御に、小太郎が、



逢いますわいのと取りついて、わっとばかりに泣き沈む。欺きも洩れて菅秀才、ひと間の内より立ち出で給い、



我に代ると知るならば、この悲しみはさすまいもの。ふびんな者や。



御袖を絞り給えば夫婦ははっと、共に浸する有難涙。



若君へ、松王が御土産。



松王突っ立ち、
はっと答えて家来共、御目通りに昇き据ゆる。はやお出でと戸を開けば、菅丞相の御台所。



菅秀才か。



母様か。



御親子不思議のご対面、源蔵夫婦横手を打ち、



所々方々と御行方をたすねしに、いすかたにご座ありしぞ。



さればされば、北嵯峨の御隠れ家、時平の家来が聞き出し、召捕りに向うと聞き、それがし山伏の姿となって、危ういところをお救い申したり。この上は急ぎ河内へ御共あって、姫君もご対面。こりゃ女房、小太郎が死骸、あの乗物に移し入れ、野辺の送りを営まん。



あい。



あいと返事のそのうちに、戸浪が心得抱いてくる、死骸を網代の乗物へ、乗せて夫婦が上着をとれば、哀れや内より覚悟の用意、下に白無詬麻上下、心を察して源蔵夫婦。



野辺の送りを親の身で、子を送る法はなし。我々夫婦が代り申さん。



いや、我が子に非ず、菅秀才の亡骸を御共申す。いすれもには、門火々々。



門火を頼み頼まるる、御台若君もろともに、しやくりあげたる御涙。冥土の旅へ寺入りの、師匠は弥陀仏釈迦牟尼仏。六道能化の弟子になり、賽の河原で砂手本、いろは書く子はあえなくも、ちりぬる命是非もなや。あすの夜誰か添乳せん、らむ憂い目見る親心、剣と死出の山けこえ、あさき夢見し、心地して、跡は門火にゑひもせず、京は故郷と立ち別れ、鳥辺野さして、
-幕-
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