与話情浮名横櫛 三幕目 源氏店妾宅の場 その1

与話情浮名横櫛 源氏店妾宅の場

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目次

役名

  • 与三郎
  • 蝙蝠の安(こうもりのやす)
  • 和泉屋多左衛門 (いずみやたさえもん)
  • 手代藤八
  • 山鹿毛平馬
  • 下男権助
  • 妾お富
  • 下女およし

源氏店妾宅(げんじだなしょうたく)の場

藤八

もし平馬さま、ここは、わたくしが店の大番頭、多左衛門が休息所、御遠慮はござりませぬ。

平馬

むう、さては貴様が店の後見いたす、多左衛門とやらの妾宅かな。

藤八

まあ、そんなものでござります。

平馬

しかし、余人に聞かせるも如何。

幸いの、この店先で話そうか。

藤八

では、これで承りましょうわえ。

さて、ひょんな事をなされましたな。それでは、先刻お渡し申した、かの香炉(こうろ)の書きつけをば、

平馬

面目ないが、取り落としたて。

藤八

これは又、お前さまも粗相千万、どうしたものでござります。

平馬

されば、その方にも申した通り、先刻かのおつるを見つけた時は、恥ずかしながら心も空、有頂天へ魂は飛び上がり、すぐさま邸(やしき)へ連れ帰り、当人を引きとめし上、赤間源左衛門を以て掛け合わせ、望みを叶(かな)ようと思うところへ。

藤八

すりゃ、只今聞いた隼人(はいと)の女房が参ったゆえに、邪魔となって。

平馬

おつるもそのまま見のがす始末、勘平ではなけれども、する事なす事鶍(いすか)の嘴(はし)。しかしこの儀はどうともなるが、心ならぬはかの書きつけ、置主(おきぬし)は麗々(れいれい)と身共が名を記しあれば、もしひょっと、面倒な奴に拾われては困るでな。

藤八

いやいや、そりゃ、御心配はござりませぬ。何もあれに、真鶴(まなづる)の香炉とぴったり書いてありもせず、言いわけはどうとでもなりましょう。

平馬

でも、あの書きつけを持って、香炉を若(も)しも余人が質請(しちう)けしては、こっちの手段(てだて)が。

藤八

はて、元利金二百五十両という金高ゆえ、大抵の者には、第一にその金が出来ますまいて。

平馬

しかしながら、元利金二百五十両へ、右の書きつけを添え、引替えに香炉を受け取る約束なれば、その書きつけをなくしては、身共が質請けするにもせよ、その方が店で、不承知を申しはせぬか。

藤八

そりゃ申します。大切な品を預かりました手形がなくなりましたゆえ、一応は申しますが、その時には、ほかの者では分からぬ程に、手代の藤八に掛け合おう、して手代藤八は、いずこにあるとおっしゃると、そこへわたくしが罷(まか)り出て、さらさらと埒(らち)あけまするわ。

平馬

むう、頼もし頼もし、それで身共も安心だわえ。国許よりあの隼人めが女房が罷り越した仕儀(しぎ)といい、延び延びには相ならぬ。むう、

こういたしては、どうであろう。

藤八

そりゃ、ようでござります。そこで、お前さまにも申します、かの品が、

こうでござりますじゃ。

平馬

むうむう、すりゃあの香炉は、とっくに貴様が質蔵(しちぐら)から、ちょろまかして。

藤八

ああ、これ。

平馬

いや面白い面白い。さする時にはその虚(きょ)に乗って、あのおつるめを身共の方へ引き上げる、ちょうど手段(てだて)の壺へはまるわえ。

藤八

それでは、今宵の事にも行きますまい、いずれあなたにはわたしが店へ。

平馬

明日(みょうにち)表向きにて、罷り出るぞ。

藤八

そこで、わたくしは店におりませぬが、ようござりますか。ほかの者が出て一応の掛合いいたしたところで、その時貴様ではわからぬ、して、二番番頭の藤八は、いずくにあるとおっしゃるをきっかけに、この藤八が出て、さらさらさらと片づけますわ。

平馬

よしよし、手筈(てはず)は万事呑みこんだ。しからば明日参るぞ。

藤八

よろしゅうござります。

ああ、もしもし平馬さま、只今申したかの一件。

平馬

むむ、しえ、二番番頭の藤八は、

藤八

わたくしが出て、さらさらさら。

平馬

こりゃ、そのきっかけを、必ずともに、

藤八

いや、わたしより其許(そのもと)さまが、

平馬

はて、呑みこんでいるわえ。

藤八

ははははは、まず香炉の一件も、あの平馬さまが手形をば、取り落としがかもっけの幸い、丁度こっちの手筈の掛罠(かけわな)、あの品はわれらが手で盗み出し、松兵衛にも呑みこませて置いたれば、これもよしと。この上は邪魔になる大番頭の多左衛門めを、仕舞いつけるは、むう、それには、これじゃて。

いつぞや、弟の海松杭めが、何か入用だと言うから、わざわざ届けたこの薬、又戻したが天の与え、これさえ用うれば訳はなしと、その上、きゃつがここの宅へ囲って置くお富とやらいう、あの美しい中年増(ちゅうどしま)を、この藤八が独占(ひとりじめ)。それで、一生の望みも足り、これが当時流行の藤八五文(とうはちごもん)、奇妙じゃて、ははははは。そう巧く行けばよいが。

やあやあ、こりゃ、生憎(あいにく)ぼろついて来たわえ、いっそここへはいって、傘を借りようか、ああ困ったものだ、どうしょうなあ。

よし

もうしおかみさん、この頃の日和(ひより)ぐせにも、困るではござりませぬか。

お富

それでも、きつい降りはあるまいよ。しかしこの傘は、よく礼を言ってすぐに戻すがよいぞや。

よし

かしこまりました。

あれ、どなたやら雨を凌(しの)いで。

お富

どうやら、見たようなお方では、

や、お前さまは、たしかにお店(たな)の。

よし

藤八さんでは、ござんせぬかえ。

藤八

やや、お前は、おお、大番頭の御内室(ごないしつ)じゃな。

よし

あいにく降り出して、さぞお困りなされましょう。

藤八

さてさて女中方は、目かどが強いわえ。わたしは先達て、多左衛門どのが内にござるその時に、ちょっとここへ来た事は来たが、この源氏店は同じような家(うち)ばかりゆえ、とんと気がつきませなんだわえ。

お富

もう、今に止みましょう。御遠慮なしに少し止めておいでなされませ。これ、お連れ申しな。

よし

さあさあ、おいでなされませ。

藤八

いやいや、しかし、女中ばかりの所へ参って、お世話になっては。

お富

なんの、そんなお心づかいがござりましょう。

よし

傘も、お店のが参っております。

お富

まあまあ止めておいでなされませ。

藤八

では、お言葉に随(したが)いましょうかな。

お富

さあ、おはいりなされませ。

藤八

ははあ、ここに入口がござりますな。

よし

はい、ここは裏口でござりますよ。

お富

まあ、お入りなされませ。

藤八

なるほど、こちらが表口じゃな。この間は、これから参りましたゆえ、裏口はとんと勝手が知れなんだわえ。

よし

さあさあ一服、お上がりなされませ。

藤八

もうもう、構わっしゃるな構わっしゃるな。

お富

これ、お茶の支度をしや。

よし

はいはい。

まあ、これを一つお上がりなされませ。

お富

もしあなた、御免なされませ。

よし

ただ今すぐに、お煮花(にばな)が出来まする。ま、一つお取りなされませ。

藤八

ああもうもう、構わっしゃりまするな。多左衛門どのは、今日は為替(かわせ)仲間の参会へござって、どうで戻りは遅うござろう。その留守へ参って、無遠慮(ぶえんりょ)千万。ああだんだん雨が止みましたわえ。傘を一本お貸しなされませ。これは御内室、お世話になりました。

お富

ああ、もうし、まあお待ちなさせませ。珍しいあなたのお出で、今折角お茶の支度もいたしました。まあ一つお上がりなされませ。そのままにお帰し申しては、内で戻ると、わたしが叱られまする。

藤八

ああもし滅相な、お前さんを呵(しか)らせては、わたくしが済みませぬゆえ、そんなら、折角のお志、お煮花を一つ下されましょうか、ははははは。しかしまあ、お前を呵らすまいとわたくしが長居して、かえって多左衛門どのに、わたしが呵らりょうも知れぬわえ。

よし

これはしたり、内の旦那はそのような事には、とんとお構いはござりませぬ。誠に粋(すい)なお気質でござりますわいなあ。

藤八

さあ、その粋な多左衛門どのなれこそ、こうしたいきなお富さんを、世話しておかっしゃるてな。とはいえ、女子(おなご)二人の所へ、わしらがような男が、一人長居しているのは、譬(たと)えにも言う猫に鰹節。

お富

ええ。

藤八

鰹節は本土佐じゃが、肝腎のこっちが、どら猫かも知れぬわい。

お富

ほほほほほ、ほんに可笑しい藤八さんじゃわいな。

藤八

いや、又店向(たなむき)の格式などというものは堅いもので、先ずお前方も、さだめてお聞き及びでもあろうが、わたしどもの大旦那は、二年後から笹目(ささめ)が谷(やつ)の別荘へ、隠居さっしゃれて、店はこっちの多左衛門どのを初め、わたし等が預かっているゆえに、なおなお堅くせにゃならぬじゃ。しかし、多左衛門どのには、別して堅いお人ゆえ、こうした休息所はありながらも、滅多にはござらぬ様子、ところでわたしが呑み込んで、折々は行きなされ行きなされと勧めるようにして、こっちへ泊まりにおこしまする。もし女中衆、あんな堅い人でも、こっちへ泊まりにござって、お富さんと、睦言(むつごと)の痴話(ちわ)などというような事がござりますかな。

よし

おほほほほ、どうでござりまするか、そんな事は知りませぬわいなあ。

藤八

ところで、わたしが多左衛門どのに言うには、ああしてお富さんを、内証者(ないしょもの)にしておこうよりは、表向きお内儀(ないぎ)の弘めをしてはどうじゃと言うたれば、いやあれは、ちと仔細(しさい)あって三年以前、田舎より連れ戻ったが、わしが女房にするというわけにも行かぬ者なれば、どこか相応な所があらば、片つけてやりたいと、このように言うてであったが、どうも一えん合点が行かぬて。しかしまあ、お富さんがどこで縁づこうと、真実思う料簡なら、随分そりゃ、ここらあたりにも、望み手はないでもないが、こうやって世話をしておきながら、今さら余所(よそ)へやろうとは、多左衛門どのの料簡が分からぬて。

お富

ほんに、そうでござんす。わたしもこうして三年越し、深いお世話になってはいれど、ほんの床の間の置物同然でござりますわいな。

藤八

はあ、それではいよいよ、多左衛門どのの言葉が、本当かしらんて。

よし

はい、お茶がはいりました。

お煮花(にばな)が出来ました。お一つ、お上がりなされませ。

藤八

ああこれ、こんなお世話になる事なら、なんぞお土産でも、持って来ねばならぬのじゃ。ああ、どんな事してのけたわえ。

よし

どれわたしは、傘をちょっと戻して参ります。

いえ、こんな事は。

藤八

はてまあ、よいわいの。

よし

どれ傘をちょっと戻して参りましょうか。

お富

お前さん一人捨てておいて、身仕舞いしておりましたゆえ、お構いも申しませぬ。もし藤八さん、堪忍して下さんせえ。

藤八

なんのなんの、心おきなく何なりともさっしゃりませ。こちらも遠慮なしに、煮花をば御馳走になりましたが、ああ大そうによい茶だゆえ、どうやら浮かされて、今夜はどうか寝られぬようだわえ。

お富

お前さんが浮かされなさんしたら、どこやらでさぞ、嬉しがる女中さんがござりましょうねえ。

藤八

あはははは、よしてもおくれじゃ。お富さん、おだてさっしゃんな。

いや、さっき風呂から、戻らしゃんしたその時も、綺麗なものじゃと思ったが、今また身仕舞いさっしゃったら、また格別に美しいものじゃなあ。

お富

ええも、よして下さんせ。

藤八

はて、よせと言うて、どうよされるものじゃ。ああ、誰に見しょとて、紅かねつきょぞ、みんな主への心中だて、とは有難い。

お富

ああもし藤八さん、そんな事いわしゃんすなら、早う戻って下さんせ。

藤八

なんじゃ、戻れえ。それでもお前が、まあ茶が入るから、ゆるりとして行けと、言うたじゃないかいの。

ああ、思えば、これが浮世の習い、一つ旦那へ奉公しておれど、多左衛門どのは働き者とはいうものの、よくせきに果報者なればこそ、お富さんのような女子に思われ、それを自由に寵愛(ちょうあい)してござるとは、よくよくよい月日の下に、生まれたと見えるわえ。ああ羨ましい事じゃなあ。

その2へ。

参考文献


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