役名
- いがみの権太
- 弥助実は三位中将維盛
- 梶原平三景時
- 娘 お里
- 鮓屋弥左衛門
- 弥左衛門女房おくら
- 若葉内侍
- 庄屋甚右衛門
- 梶原の臣
釣瓶鮓屋の場

工ヘン工ヘン。



お前は兄(あに)さん、悪いところへ。



ようおいでなされました。



よく来なくってよ。おれの家へおれが来るんだ、誰に遠慮があるものか。
おう弥助、おめえちょっと顔をかしてくれ。



何ぞご用でござりまするか。



おめえな、向うを向いてみろ・・・こっちを向いてみろ。



はい。



これに違えねえ。



ええ。



なに、いい男だな。



何をおっしゃりまするぞいなあ。



ときにお里、おやじはうちか。



ととさんは留守。



なに、おやじは留守だ。そりゃちょうどいいところへやって来た。
そうしてお袋はどこにいる。



お袋様は奥においででござりまする。



それじゃあ、おれが来たと言って呼んできてくれ。



はい。



いや、待ちな待ちな。おれと言っちゃあいけねえ。こう、金のしっかりありそうな旦那が来たと、そう言って呼んできてくれ。
ええ、早く行かねえか。



にらみ廻されうじうじと。のちにと言うて立つ弥助、
娘もあとに引っ添うて、ひと間へこそは、



兄さん、びびびびびい



入りにける。



何だ、お兄様をつかめえて、兄さん、びびびびびい、
こまっちゃくれたあまっちょだな。



母は奥より立ち出てて、



わしに用とは、どなた様でござります。



へいへい、おっかさん、わたくしでござりまする。



おのれは権太郎。



あ、申しおっかさん、お待ちなされて下さいまし。



勘当うけた親の家へ、ようのめのめ来られたものじゃ。
とっととここを出て行きおれ。あのここな不孝者めが。



と目に角を立てかこちたる、機嫌にぐんにゃり。
直ぐではゆかぬと、いがみの権太、思案しかえて、



もしおっかさん、わたくしがまいりましたは、無心ではござりませぬ。
お暇乞いにまいりました。



何と言いやる。



わたくしは遠いところへ行かねばなりませぬ。おやじ様にもお前様にも、おまめでお暮らしなされませ。



しおれかければ、母は驚き、



これこれ、遠いところとはそりゃまあ何処へ。どうした訳で、何しに行くのじゃ。



根問いは親の欺され小口(こぐち)、さあしてやったと目をしばたたき、



まあひと通りお聞きなされて下さりませ。親の物は子の物と、これまでたびたび無心はしたけれど、人の物を箸片(はしかた)し、いがんだことはござりませぬが、不孝の罰かわたくしは、ゆうべ大泥棒にあいました。



盗人に、して、何を取られたのじゃ。



その取られました中に、代官所へ納める年貢の金、三貫目というものをそっくり取られましたからは、どうでもお仕置きを受けねばなりませぬ。情けない目にあいました。



かます袖をば顔にあて、しゃくりあげても出ぬ涙、鼻が邪魔して目のふちへ、届かぬ舌ぞ、



もしおっかさん、この通り涙がこぼれて、



うらめしき。母もまことと共に目をすり、



鬼神に横道なしと、年貢の金を盗まれて、死のうと覚悟きめたとは、まだしもでかした。そのような災難にあうも親の罰、よう思い知りおったか。



思い知ってはおりますれど、どうで死なねばなりませぬ。



こりゃやい。



はいはい。



常のおのれの性根ゆえ、また欺されるか知らねども、しょうぶ分けにと思うた金、おやじ殿に隠してやるほどに、それでふっつり性根を直せよ。



そろそろ戸棚へ子の陰で、親も盗みをする母の、甘い錠さえあけかねる。



ああしもうた、えらいことしたわい。おやじ殿が鍵を持って行かれたわいな。



おっかさん、あの、こちこちがようござります。



なに、こちこちとは。



今わっちが、あけてみせましよう。



しなれたるおのが手業を教える不幸。



おっかさん、へい、あきました。



おお、器用な子じゃのう。



親は我が子が可愛さに、地獄の種の三貫目、何ぞに包んでやりたいがと、限りない程甘い親、うまいわろじゃといがみの権太。



奥とロとへ引き別れ、息をつめてぞ入りにける。



にがい父親弥左衛門、これも疵もつ足の裏、あたふたとして門ロに



ああこれ誰ぞいぬか、ちょっとここをあけてくれ、早うここをあけてくれ。



おお弥助か。あけるならあけるとちょっと断ってからあけてくれたがよいわいな。すまぬがわしに茶を一つ持ってきてくれ。



はい。



はいお茶。



びつくりするわい。
して弥助、婆や娘は何処におります。



お袋様もお里様も奥においででざりまする。これへお呼び申してまいりましよう。



と行く弥助をば引きとどめ、



ああいや、まず、まず。



たちまち変わる御粧(おんよそお)い、正座へ直し手をつかえ、



君の御父、小松の内府重盛公のご恩を受けしわたくし、何卒御子維盛卿の御行方をと存ずる折柄、熊野の浦にて御目にかかり、御月代(おんさかやき)をすすめ奉り、この家へお伴い申し上げ、人目を憚り下人の奉公。
あまりと申せば勿体なさ、女房ばかりにまことを明かし、今宵祝言と申せしは、心は娘をお宮仕え、弥助弥助と賎しきわが名をおゆずり申し上げしも、いよいよ助かるという文字の縁起。
人は知らぬと存じおりましたに、今日鎌倉より梶原平三景時来り、汝が方に維盛を匿いあると、のっぴきさせぬやがて詮議、烏を鷺と言いのがれては帰りましたなれど、邪智深き梶原、詮議にまいろうもしれぬと、いささか心企みは致しおきましたれども、油断はならず、明日にもわたくしの隠居所上市村へお越しあそばしまするがよろしかろうと存じまする。



申し上ぐれば維盛卿。



父重盛の高恩を受けたる者は幾万人、数限りなきその中に、おことのような者あろうや。昔はいかなる者なるぞ。



尋ね給えば、



わたくしことは平家盛んの折柄、唐土育王山(いおうざん)へ祠堂金を納むる時、音頭の瀬戸にて盗賊に出合い三千両の黄金を盗み取られ、役目の落度、すでに切腹にも及ばんところ、お情け深き重盛卿、日本の金を、唐土に渡す我こそ日の本の盗賊なりと、御身の上を悔ませ給い、そののち何の祟りなくお暇賜り、親里へ立ち帰り由緒ある鮓商売。
今日を安楽に暮らしおりますれど、伜権太郎がゆすりかたり、殺生の報いかと、思い入ったる身のざんげ、お恥ずかしゅう存じまする。



語るにつけて維盛も、栄華の昔父の事、思い出され御膝に落つる涙ぞ哀れなり。
娘お里は今宵待つ、月の桂の殿もうけ、納戸の内より立ち出ずれば、あるじははっと泣く目を隠し、



弥助、今言うた上市村へ行くことを、必ずす忘れまいぞや。
娘、こなたは弥助と今宵はここでゆるり、婆とおれとは離れ座敷、遠いは花の香がのうて。



気楽であろと打ち笑い、奥へ行くのも、



娘は嬉しく、



てもまあ、粋なととさん。離れ座敷は隣知らず、こちらはここで寝て花やろか。



布団敷く。



弥助さん、明日の朝はまた仕込みで早いによってもう寝やしゃんしたらどうでござんすえ。わたしとしたことが門の戸を閉めるのを忘れていた。ちょっと閉めてきましょうわいな。
もし弥助さん、見やしゃんせ。お向うの家ももう寝やしゃんした。お隣の家ももう寝てしもうた。弥助さん、見やしゃんせ。お月さんももう寝やしゃんしたわいなあ。さあさあ、寝ましょう寝ましょう。弥助さん、お前、さっきにから黙っていなさんすが、どこぞ気合いでも悪いのかえ。
わたしゃ最前から眠とうてくならぬわいなあ。おおねむ、おおねむ、おおねむおおねむおおねむ。そんなら先へ寝ますぞえ。



先へころりとうたた寝は、恋の罠とぞ見えにける。



維盛傍に寄り添い給い、



これまでは仮の情、夫婦となれば二世の縁、結ぶに辛き一つの言い訳。
何を隠そうそれがしには、国に残せし妻子あり。貞女両大にまみえずの掟は夫も同じこと。二世の固めは許してたべ。



さすが小松の嫡子とて、とけたようでもどこやらに、親御の気風残りける。



語り給えば伏したる娘、こたえかねしか声上げて、わっとばかりに泣きいだす。こは何故と驚く内侍、若君引き連れ、逃げのかんとし給えば、



まず、まず。



内侍若君正座へ直し、



わたくしは里と申してこの家の娘。いたずら者、憎い奴と思召されん申し訳。過ぎつる春の頃、色めずらしい草中へ、絵にあるような殿御のお出で。維盛様とはつゆ知らず、女子の浅い心から、可愛らしい、いとしいらしいと、



思いそめたが恋のもと。



父も聞こえず、母様も、



夢にも知らして下さったら、たとえ焦がれて死すればとて、雲井に近き御方へ、鮓屋の娘が愡れらりょうか。



一生連れ添う殿御じゃと、思い込んでいたものを、二世の固めはかなわぬ、親への義理に契りしとは、情けないお情けに、



あずかりましたとどうと伏し、身をふるわして泣きければ、維盛卿は気の毒の、内侍も道理の詫び涙、乾く間もなき折からに、村の役人駆け来り、



これこれ弥助の弥左衛門殿や、今ここへ梶原様がお出でなさる。内をよう掃除しておかっしゃれや。よいか、よいか。



言い捨ててこそ立あ帰る。人々はっと泣く目も晴れ、いかがはせんとにわかの仰天、お里は早速に心づき、



ひとまず親の隠居屋敷、上市村へ少しも早う。



と気をあせり



実にそのことは弥左衛門、我にも教えおきしかど、とても開かぬ平家の運命、検使を引きうけいさぎよく腹かききらん。



内侍は押しとめ、



ああ申し、この吾子(わこ)のいたいけ盛りを思召し、ひとまずここを。



無理やりに引立て給えば維盛も、子にひかさるる後ろ髪、ぜひなくこの場を落ち給う、ご運の程ぞ危うけれ。



様子を聞いたかいがみの権太、勝手口よりおどり出て、



聞いた聞いた、お触れのあった内侍、六代、維盛弥助、ふん縛って金にするのだ。



尻ひっからげ突っ立ったり。



これはわたしが一生の頼み、どうぞ見のがして下さんせ。



べらほうめ、大金になる仕事だ。そこどきゃあがれ。



邪魔ひろぐなとすがるを蹴とばしはねとばし、駆け出せしが、これ忘れてはと引っ下げて、あとを慕うて追うて行く。



老いぼれめ、いずれへ行く。



逃ぎょうとて、



逃がそうか。



追っとり巻かれてはっとと胸、先も気づかい、ここものかれず、七振八倒心は早鐘、時に時つく如くなり。



こやつ横道者め、最前庄屋方において維盛がこと詮議致せしところ、存ぜぬ知らぬといいはり、



そのままにして帰せしは、汝方へ踏ん込み、ひそかに詮議致さんため。



この家に維盛匿いあること、所の者より地頭へ訴え。



早速鎌倉へ早打ち、取るものも取りあえず来たりしは、おのれを逃さぬためばかり。



首討って渡すか。



但し踏ん込み縄かきょうや。



さあ。



さあさあさあさあさあさあ。



老いぼれ返事は、どど、どうだ。



責めつけされ、かなわぬところと胸を据え。



成程、いったんは匿いませぬと申しましたれど、あまりご詮議が厳しいゆえ、先刻首討ちたてまつってこざりまする。何を申すもここは門中、あれへお通り下さりませ。



伴い入るれば母娘、いかなることと気づかううち、鮓桶引っ下げ弥左衛門、しずしずと出でて向うへ直し、



三位中将維盛様のお首、いざお改め下さりませ。



蓋を取らんとするところへ、女房かけ寄り、



あこれおやしどの、その桶の中にはな、ちと人に見せられぬものが入れてある。こなさんがあけてどうさっしやるのじゃ。



何を言うのじゃ。この中には維盛様のお首が入っているのじゃ。



いやいや、この中にはわしが大事なものが入れてあるのじゃ。



ええ、おのれは何も知らぬのじゃ。



争いければ、



たくんだな、拵えたな。それ。



動くな。



捕った捕ったと取り巷くところへ、



内侍六代、維盛弥助、いがみの権太が生け捕った。



と呼ばわる声、はっとばかりに弥左衛門、女房娘も気は狂乱。
いがみの権太はいかめしく、若君、内侍を猿縛り、宙に引っ立て、



下にいろ。



目通りにどっかと引き据え、



おやじの売僧(まいす)が熊野浦から連れて帰り、道にて頭をそりこぼち、弥助といって青二才、この間からいやらしい聟ぜんそ、憎さも憎しと存じましたゆえ、引っ捕らえて面恥(つらはじ)と思いのほかに手強い奴、村の者の手を借りて、首にして持ってめえりました。ご実検なすっておくんなさいまし。



差し出せば、ためつすがめつとっくと見て、



維盛が首に相違ない。聞き及んだいがみの権太とやら、悪者と聞きしが、上へ対して大忠臣、でかいたでかいた。して、内侍、六代生け捕りしか。



へい。



面を上げさせい。



へい。面あ上げろい、面あ上げろい。



はてよい器量、夢野の鹿で思わずも、女鹿子鹿の手に入るもその方が働き、ほうびには親弥左衛門が命助けてくりょう。



ああいや、親の命を助けてもらおうといって、命がけの働きは致しません。



すりゃ親の命を取られてもほうびが欲しいか。



親の命は、そりゃまあどうかおやじとご相談なすっておくんなさい。
わっちゃあやっぱりれこ、お金がよろしゅうございます。



うむ、ほうびくりょう。それ。



持たせし羽織を差し出せば、下に取り上げて仏頂面。



何だこりゃ。なんだ、こりゃ。



こりゃこりゃこりゃ、粗相申すな。その陣羽織こそ勿体なくも頼朝公の御召し替え。



何時なりとも鎌倉へ持ち来らば、



金銀と釣り換え、



嘱託の



合紋(あいもん)。



成程なあ。当節かたりがはやるゆえ、二重取りをさせぬ魂胆。
よくしたものでございますね。さようなら縄付きはお渡し申します。



縄付き渡せば受け取って、首を器に納めさせ、



権太郎とやら、それへ出い



へい。



面を上げい。弥左衛門一家の奴ら、しかと汝に預けおくぞよ。



お気づけえなせえますな。貧乏ゆるぎもさすこっちゃあごぜえません。



こいつ小気味のよい奴だ。ははは・・・



ほめそやして梶原平三、縄付き引っ立て、立ち帰る。



あ、もし、引き換えのほうびを忘れちゃいけませんぜ。お頼み申しますぜお頼み申しますぜ。



油断みすまし弥左衛門、ぐっと突っ込む恨みの刃、うんとのっけに反り返る。母は思わずかけ寄って、



親の罰思い知りおったか。



思い知れやといいながら先立つものは涙なり。弥左衛門歯がみをなし、



泣くな女房、何吠える。門端も踏ますなと言いつけおいたに、ようもようも内へ引き入れ、大事の大事の維盛様を殺し、御台様や若君に縄打ってよう鎌倉へ渡しおったな。
三千世界に子を殺す親というのはおれ一人、あっぱれ因果な手柄者に、おのれ、ようしおったな。



えぐりかければ権太郎、刃物押されて、



とっつあんとっつあん、これ、おやじ様。



何じゃい。



こんたの知恵で維盛を、助けるこたあ、そいつはいかねえ、そいつはいかねえ。



言うなやい、ぬかしおるなやい。今日道ばたの別れ道に手負いの死人、
これ幸いのお身代わりと首討って戻って、この中に入れておいた。これを見おれ。



鮓桶取って打ちあくれば、がらりと出でたる三貫目。



こりゃ金、こりゃどうじゃ。



呆れ果てたるばかりなり。手負いは顔を打ち眺め、



おいとしやおやじ様。おれの性根が悪いゆえ、ご相談の相手もなく、前髪の首を惣髪(そうはつ)にして渡そうとは、了簡違えの危ねえ仕事だ。
梶原ほどの侍が、弥助といって青二才、下男に仕立ててあることを知らずに討手に来ましょうか。
それと言わぬはあっちも合点。維盛様御夫婦の路用にせんと盗んだ金、重いを証拠に取り違え、持って帰って鮓桶を、あけて見たれば中には首、はっと思えどこれ幸い、前髪剃って突きつけたは、とっつあん、やっぱりお前の仕込みの首だ。



その性根でな、御台様や若君に縄打って、何故鎌倉へ渡しおったのじゃ。



ささ・・・そのお二方とみえたのは、



そのお二方とみえたのは、



この権太郎がありゃ女房伜だ。



してお二方はいずくにござある。



今お二方にお逢わせ申しましょう。おっかさん、この莨入れの段口に笛が入ってるから吹いて下せえ。



言いつつ出す一文笛、吹き立つれば折よしと維盛卿、内侍は茶汲みの姿となり、若君つれて駆けつけ給い、



弥左衛門夫婦に一札を・・・やや、権太郎がこの体は。



お変りないか。



一度に興をぞさましける。母は悲しく手負いにとりつき、



常が常ならおやじ殿も、こうまでむごうはさっしゃるまいに、不憫なことをしたわいなあ。



欺けば権太郎。



そのお悔やみは無用無用。常が常なら梶原が、身代りくっちゃあ帰りません。まだそれせえも疑って、親の命をほうびにくりょう、忝ねえと言うとはや、詮議に詮議をかける道理。いがみと見たゆえ油断して、一杯食って帰ったは、



災いも三年と、悪い性根の年のあき時。



生まれついて諸勝負に魂うばわれ、今日もあなたを二十両、かたりとったる荷物の内、うやうやしい高位の絵姿、弥助・・・あなたのお顔に生き写し、合点ゆかずと母者人へ、金の無心をおとりに入り込み。
様子を聞けば維盛卿、御身に迫る難儀の段々。さ、ここで性根を入れ替えすば、おっかさん、いつかおやじ様のご機嫌の直る時節もあろうかと、打って替えたる悪事の裏。
維盛様のお首はあっても、内侍若君の身代りになる者がねえ。どうしようかこうしようかと途方にくれるそのところへ、女房小せんが伜を連れ、これ権太殿何うろたえることがあろう、わしと善太をこれこうと、手を廻すりゃあ伜めが、おい、ちゃんや、おらもおっかあと一緒にと、共に廻してしばり縄、かけてもかけても手がゆるみ、結んだ縄もしゃららほどけ、いがんだおれが直ぐな子を、持ったは何の因果ぞと、思っては泣き、諦めては泣き、後ろ手にしたその時は、いかな鬼でも蛇心でも、これえられたものじゃねえ。可愛や女房伜めが、わっとひと声、その時は、これ血・・・



血を吐きましたと語るにぞ、カみ返って弥左衛門、



ええ聞こえぬぞよ権太郎、孫めに縄をかける時、血を吐く程の悲しみを、
常に持っては何故くれぬのじゃ。広い世界に嫁一人、孫というのはあいつばかり。子供が大勢遊んでいれば、親の顔を目印に、これこれ子供衆、この中に権太の伜はいませぬかと言えば子供はどの権太、家名(いえな)は何と尋ねられ、おれの口から満更に、いがみの権とは言われもせず、悪者の子じゃほどに、はね出されていると思うほど、なおわれが憎さ。今直る性根が、半年前に直ったら、のう、おばば。



おいのう、こういうことと知ったなら、嫁や孫の顔、よう見おぼえておこうもの。



おお、そればっかりが。



とむせ返り。維盛卿も思いにかきくれ給い、



弥左衛門が嘆きさることながら、逢うて別れ、逢わで死するも皆因縁。汝が首討ち返りしは、主馬の小金吾武里とて、内侍が供せし譜代の家来、生きて尽くせし忠義は薄く、死して身代る忠勤厚し、これも定まる因縁ぞや。



語り給えば弥左衛門。



これもやっぱり鎌倉の追手のしわざでござりましたか。



いうにや及ぶ。右大将頼朝が威勢にはびこる無得心。ひと太刀恨みん残念さよ。



怒りに交わる御涙、実にお道理と弥左衛門、梶原が預けたる陣羽織を取り出し、



最前頼朝が着替えとて、残しおいたるこの陣羽織、ずたずたに切り裂いても、ご一門の数には足りませねど、せめてひと太刀すつお手向けあそばしませ。



差し出せば、



なに頼朝が着替えとや。普の予譲が例をひき、衣を裂いて一門の、恨みを晴らさん、思い知れ。



御佩刀(おんはかせ)に手をかけて、羽織を取って引きあげ給えば、裏に模様か歌の下の句。



内やゆかしき、内ぞゆかしき、と二つ並べて書いたるは、心得ぬ、
この歌は小町が詠歌「雲の上はありし昔に変わらねど、見し玉簾の内やゆかしき』、人も知ったるこの歌を、物々しく書いたるは、・・・ことに梶原は和歌に心を寄せし武士(もののふ)、内やゆかしき内ぞゆかしき、・・・むむ、この羽織の縫い目の内やかしき。



襟際付け際切りほどき、見れば内には袈装念珠、



然もそうず、然もありなん。保元平治のその昔、我が父小松重盛、池の褝尼といい合わせ、死罪きわる頼朝の、命助けて伊東へ流人、その恩報しに維盛を、助けて出家させよとある、おうむ返しか思返しか、敵ながらも頼朝はあっぱれの大将じゃな。見し玉簾の内よりも、心の内の床しさよ。



頂き給うぞ道理なる。手負いは顔をふりあげて、



及ばぬ知恵で梶原を、たばかったと思いしに、それもあっちが皆合点、
思えばこれまで騙ったも、果ては命を驅らるる、種と知らざる、



あさましやと、悔みに近き終わり際、維盛卿もこれまでは、仏を騙って輪廻を放れず。



放るる時は今この時。



もとどりふっつと切り給えば、内侍若君お里もすがり、



ともに尼とも姿を変え、



お宮仕えを、



許してたべ。



願えどかなわず打ち払い打ち払い、



内侍は高雄の文覚へ、六代がこと頼まれよ。お里は兄になり代り、親へ孝行肝要なるぞ。



立ち出で給えば弥左衛門、



女中の供は、年寄りの。



役と共々旅路の用意、不憫不憫と維盛の、首には輪袈裟、手に念珠。



三貘(みみゃく)三菩提の門途、



高雄、



高野へ、



引き分くる、



夫婦の別れ、



親子の名残。



哀れはかなき、
-幕-
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